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 六章 雷鳴駆けて天を裂く (2) [ きみのたたかいのうた ]

 風を切って飛んできたクナイを、咄嗟に横に飛んでかわす。
「────誰だ」
 体を低くして誰何すれば、巻き上がる風に砂が混じり、気配が現れる。
 砂の額宛を付けた忍が、三人。殺意にぎらついた瞳でナルトを見ていた。
「避けたか」
「何のつもりだってば」
 答えはない。
 殺気がごうと襲い掛かってきて、ナルトは応戦の構えを取る。腰へ手を伸ばし、舌打ちした。武器はない。
「丸腰か」
 嘲笑う声が不快だ。
「るせぇ」
 頼みの綱は螺旋丸か。混乱している自分を自覚している。集中しきれるかどうか、危うい。
 だが、死ぬ訳にはいかない。
 叩きつけられる殺意に、思考がクリアになってゆく。
 そうだ。まだナルトは聞いていない。カカシの口から。聞かねばならない。
 知ると、決めたのだから。

 体内に渦巻くチャクラの奔流を感じ、手の中に凝縮させようとした瞬間、狙いすましたように背後から飛び出した気配に霧散した。
 白と墨とで構成された、この世のものならざる獣たちが、立ち塞がる忍たちの喉へ食らいつく。悲鳴を上げる間もなく、対峙していた彼らは息絶えた。鉄錆のにおいが、つんと鼻を突く。
 これが日常。
 今の、里。
 ナルトは殊更にゆっくりと振り返った。
 放たれた術から予想していた、そのままに。青年となったサイが、笑顔を浮かべて立っていた。
「何呆けてるのか知らないけど、相変わらずしまりのない顔だね」
「サイ……」
「君が死んでから……四年ぶりだね、ナルト。黄泉の国から迷い出てきたのかい?」
 忌憚なく喋るサイの変わらぬさまに、たまらなく安堵する。
「生きてるっつーの……」
「カカシさんが厭土転生でもやらかしたんじゃないの?」
 軽く問われた内容の物騒さに、ナルトはさっと青褪めた。
「違うってば」
「あの人なら出来ないこともないだろうし、ボクも疑ってたんだけどね。サクラなんて、だったら私が責任持って土に還して来るわ、って言い捨てて出ていったし」
 それでサクラは玄関を蹴破るという暴挙を行ったのか。
 道理でナルトを見る目が鋭かったはずである。蘇ったいびつな生き物だと思われていた訳だ。
 ということはもしや、サクラはナルトを、いやサクラにしてみればナルトのかたちをしたものを、殺る気満々だったのだろうか。
 咄嗟にあの場からの逃走を選んだのは、本能的に命の危険を感じたからかもしれない。

「サクラが見逃したってことは、君は“ナルト”ってこと? その割にはやけに小さいけど」
「小さいは余計だってーの。オレってばまだ成長期なんだからな!」
 反射的に言い返す。
 サイはそれまで油断なく構えていた筆を、気が抜けたというように下ろした。
「じゃあ、君は何?」
 最初に、未来に飛ばされたとき。カカシにも問われた台詞だ。
 今なら、全て分かる。
 その意味が。
「えーと……過去から飛ばされてきた、っていうんかな……?」
「ふうん。それでよりによってこんな時代に来たのかい? ことごとく厄介事が好きだね、君」
「いや好きで来たんじゃねーし」
 どうにもサイと真面目に会話をすると力が抜ける。
 強張っていた体から緊張が解けるのをナルトは感じた。

「つかさ、あの先生がそんな、サイにも分かるほどおかしかったんか?」
 ひどい言い草であるが、ナルトの本心である。
 サイは含みに気付いていないのか気にしないのか、まあね、と鷹揚に頷いてみせた。
「大体、死なないからまだ生きてます、っての丸出しだったカカシさんが、わざわざ交渉してまで秋刀魚買い込んでみたり、寝る為だけに帰ってた家にいそいそ帰宅してみたりすれば、とうとう頭のネジが全部ぶっ飛んだかな、とも思うよ」
「え……」
 ナルトは言葉が続かなかった。
「サクラに頼まれて探ってみれば、死んだはずの君のチャクラの気配がするし。これはカカシさんついにやっちゃったかなー、という結論に達してね。ボクも行こうかと思ったんだけど、鼠が入り込んだ気配があったから来てみれば、何故か君が間抜け面で襲われてるじゃないか。驚いたよ」
 やれやれ、と肩を竦められる。
 どうしてこうも人の神経を逆なでするような言い方をするのだろうか、とナルトは疑問に思い、はたと気づいた。
「そうだ! なんで砂の奴らが襲ってくるんだよ? 同盟国だろ? それとも、もう同盟なんて破棄されちまったのか? 我愛羅がそれを許したのかよ!」
 サイは静かな目でナルトを見ている。
 かあと頭に血が上り、ナルトは胸倉に掴みかかっていた。
「答えろ、サイ!」
「……ボクよりも、訊くべき人がいるんじゃないの?」
「何言って、」
 サイは視線をナルトの背後にやった。
「ほら、迎えが来たよ」

 渋々ナルトが振り返ると、右の頬を腫らしたカカシと、目を真っ赤にしたサクラが立っていた。
「先生……サクラちゃん」
「ナルト、あんた……」
 サクラはひくり、としゃくりあげる。
 カカシから事情を聞いたのだろう。怒気も殺気も消えうせ、ただ悲しみに暮れる女性がいた。
「サクラちゃん、ごめんってば」
「何に謝ってるのよ」
「……オレ、死んだんだろ?」
「────そうよ。私達を置いてあっさりね。みんながどれだけ泣いたか、どれだけ嘆いたか、知らないんでしょうね。あんたは、いつも……ッ」
「サクラちゃん」
 ナルトは名前を呼ぶことしか出来なかった。
 この世界のナルトではない自分に、与えられた言葉はあまりに少ない。
 サクラはひく、と喉を鳴らし、ナルトの目を見据えた。
「一発殴って正気に戻しておいたから、先生にたっぷり叱られなさい。……過去から、来たんでしょ」
「うん」
 穏やかな口調から一転、激昂したようにサクラが叫ぶ。
「ッ、だったら! だったら、こんな未来なんて変えてみせなさいよ! じゃないと許さないから!」
「……サクラちゃん」
 ぼろぼろと、翠の目から零れ落ちる涙が、きらきらと光って見える。
 美しい女性になったサクラが、化粧が流れるのも構わず、身も蓋もなく泣いている。その様はナルトの胸を痛ませた。
「一生許さないからね。その軽い頭に叩き込んでおきなさいよ。────バカナルト」
「……うん」
 頬を緩めると、サクラは何故か息を呑んで、顔を背けた。
「……帰るわよ、サイ」
「あれ、もういいの?」
 腕を組んで悠々と見物の体勢に入っていたサイが、首を傾げる。
「言いたいことは言ったわ。先生も最後のネジは飛んでなかったみたいだし、これ以上は野暮ってもんよ」
「君がそれでいいなら、いいよ」
 サイが微笑う。
 サクラは豪快に涙を拭って、ぎこちない笑みを浮かべた。
「じゃあね、先生。ナルト」
 どろん、と煙を立ててあっさり二人の姿が掻き消える。


 びゅう、と乾いた風が駆け抜けてゆく。
「……帰ろうか、ナルト」
 腫れた頬を歪めながら、穏やかにカカシが告げた。
「うん。帰るってば」
 どちらともなく、手を差し出す。
 握った手は、温かかった。


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